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久保建英 父親 久保健史

【久保建英の父親】健史はミサワホームの幹部!年収や教育法がスゴい!

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幼少期から名門・バルセロナの下部組織に所属し、現在はサッカー日本代表や世界の名だたるクラブで活躍中の久保建英選手。

そんな幼少期からスゴかった子供の父親がどんな人か気になりますが、調べてみると案の定やっぱりスゴいんですよね。こんな日本サッカー界の至宝が育った裏には父親・久保健史(くぼたけふみ)さんの戦略的な教育法があったようです。

そんな父・健史さんの現在の仕事はミサワホームで幹部職をされており、年収も普通のサラリーマンよりはかなり上。

ということで、この記事では久保建英選手の父親・健史さんのプロフィールや仕事や年収について、また久保建英選手を生み出した教育法について詳しくご紹介していきたいと思います。

【久保建英の父親】久保健史のプロフィール

久保建英 父親 久保健史
久保建英選手の父・健史さん  出典:Twitter

久保 健史(くぼ たけふみ)
生年月日:1971年生まれ
出身:和歌山県
学歴:筑波大学 体育専門学群卒業
職歴:ミサワホーム(株)勤務 (1994年〜)
著書:『おれ、バルサに入る! 夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方』(2012/5)

久保建英選手のお父さんのお名前久保健史(くぼ たけふみ)さんといいます。久保建英選手のお名前も父・健史さんと一文字違いなのでお父様からとったんでしょうね。

年齢1971年生まれの50歳(2021年現在)。
有名人でいうと、有田哲平さんや博多大吉さん、藤原紀香さんや竹野内豊さんと同い年になりますね。

もやはり親子なのでなんとなく雰囲気は似ていますが、どちらかというと久保建英選手は母親似?のような気がします。

久保建英
東京五輪での日本代表・久保建英選手 出典:ゲキサカ

何度も世界一に輝いたことのある最強サッカークラブ・FCバルセロナ(スペイン)の下部組織・カンテラに日本人として初めて入団した久保建英選手

久保建英 幼少期 バルセロナ
カンテラ時代の久保建英

父・久保健史さんもそこに至るまでの経緯や教育法を『おれ、バルサに入る!』という本にし、これが2012年に出版された事で有名になりました。

父・久保健史の仕事はミサワホームの幹部!

久保建英

久保建英選手の父・健史さんの職業は、誰もが知っている有名企業に勤めるサラリーマン。

1994年からあのミサワホーム(株)に勤務されており、現在はなんと総務人事担当部長という幹部ポジションにいらっしゃいます。
また、それと同時にミサワホームの親会社であるプライムライフテクノロジーズ(株)に出向しておられ、そこでは総務人事部長をされているようです。

総務人事部担当部長兼プライムライフテクノロジーズに出向(総務人事部長) 久保健史

https://relocation-personnel.com/2020/1/7/【人事】ミサワホーム2020年1月7日

プライムライフテクノロジーズ(株)はトヨタとパナソニックが共同で興した住宅事業で、トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニックホームズを子会社に持つ国内の住宅事業業界でトップの会社です。

そんなすごい会社に、健史さんは子会社であるミサワホームからいわゆる逆出向して、親会社になるため普通は役職が下がるところをそこでも総務人事部長というポジションにいくところがもうデキる男の匂いしかしませんね・・・!

健史さんは元々はミサワホームでも総務人事部長というポジションにいたため、そこでの実績が評価されたのかもしれません。

現在は上記の会社に出向することから、ミサワホーム内では部下を持たない“総務人事担当部長”という“総務人事部長”よりも下の立場になっていますが、専門職になることから仕方ありませんし、
出向先からミサワホームに戻ってくる際には以前の総務人事部長よりも上のポジションに就くことが容易に想像できます。

このままいけば、将来的にはミサワホームの取締役クラスになるのは間違いないとみていいでしょうね。

父・久保健史の年収がスゴい!

久保建英

さて、ミサワホームの部長だということが判明した父・久保健史さん。

気になる年収は一体どれくらいなのかというと、ミサワホームの部長クラスの平均年収1100万以上とのことです。

役職平均年収
部長1,163万円
平均年収.jp

一般企業の普通のサラリーマンと比べるとかなり高給取りと言えますし、やっぱりすごいですね・・・。

ちなみに息子・久保建英選手の年棒は19歳の時点すでにで3億円超えしていました。

あっさり1年間で父親どころか一般的なサラリーマンの生涯年収すらも軽く超えちゃってますが、これはもう父・久保健史さんも嬉しい限りでしょうね。

父・久保健史の教育法がスゴい!

久保建英 幼少期 バルセロナ
カンテラ時代の久保建英

久保建英選手が9歳から所属していたFCバルセロナの下部組織“カンテラ”。これに所属するのには基本的に7歳以上の地元出身者が対象で、外国人の入団は原則13歳から

そこに9歳かつ、日本人として初入団の快挙を成し遂げるってかなりスゴいですよね。

これは久保建英選手が持つサッカーの技術、メンタル、理解力、判断力等、全ての総合力が高く評価されたからに他なりません。

久保建英
スペイン・マジョルカ時代の久保

ここまでいけたのには、父・健史さんのスゴい教育法やサポートがあったからと言われていますが、一体どんなものだったのでしょうか。

父・久保健史さんの教育法をまとめると、

・久保建英選手が2歳のころから年間350日以上、近くの公園でボールを蹴らせた

・とにかく外遊びをさせ、幼稚園も外遊びができることを最優先、テレビはつけない

・足裏感覚を養わせるため、外で遊ぶときは裸足にさせる

・想像力や集中力&知性を養うため、何百冊も絵本を買い、さらに図書館で週に20~25冊も本を借りて、毎日読み聞かせをした。また、幼稚園やサッカーの送迎のときは宮沢賢治のお話のCDを聴かせたり、就寝前には『三国志』『水滸伝』のほか戦国武将伝のあらすじを聞かせた

・コミュニケーション力を高めるために、自主保育グループに所属させ、年齢をまたいで遊びができる友達を作らせる環境を整えた。また、年上年下関係なく呼び捨てで呼ぶようにさせた。

・考えて話す習慣をつけさせるために、子供目線で何度も同じ質問をした。

どんな小さな事でも褒めた。できなかったことは責めることや自分の子供を卑下することは絶対にしない。

ゲーム感覚で伝え、楽しいと思えることを増やす

というものでした。

実際にやろうとするとかなりハードな内容に感じます。
これを普通にサラリーマンとして働きながらやるってスゴいことですよね。
もちろん奥様と共同でお互いにサポートしながらとは思いますが。

これによって、久保建英選手が逞しく育ち、海外や大舞台でも物怖じしないスゴい選手になったんですね。

父・健史は4軍の選手だった

久保建英

父・久保健史さんは筑波大学の体育専門学群に進学し、在学中はサッカーの教育を学ぶとともに、ご自身も同大学サッカー部に所属していたそうです。

久保建英選手のように父・健史さんもサッカーが上手かったのかと思いきや、建史さんは筑波大学サッカー部で1~5軍まである中の4軍の選手だったとのこと。
また、たいていの選手は4年間在籍すると最後は3軍くらいまではいける人が大半の中、それすらも叶わなかったそうです。

また、在学中には他の部員同様に少年サッカーの指導もしていましたが、本格的なサッカー指導経験はなし

それにも関わらず、久保建英選手と一緒にボールを蹴り、息子は9才になるまでにあそこまでの大物選手に育ったのには上記の教育法と、筑波大のOBで川崎フロンターレや名古屋グランパスエイトの監督を務めたこともある風間八宏監督の影響もあったようです。

風間八宏監督
風間八宏監督

「筑波大のOBには、名古屋グランパスエイトの風間八宏現監督がいて、久保親子が公園でサッカーをしていたころ、風間の言う“機敏さ、素早さ、敏捷性”が注目されはじめました。しっかりボールを止め、パスをするのではなく自分で局面を打開していくサッカーは、その後“画期的”と評価されましたが、建史さんは、風間が語る筑波大メソッドを息子に課した部分があったのだと思います」

本格的な指導経験がないにも関わらず、息子を幼少期に日本最高峰の選手に育てた上記の教育法は筑波大でサッカーを学んだことから来ているのかもしれません。

今ではもうサッカーに関して、息子に教えるなんてことはなくなったことでしょうが、父親として今後もかっこいい背中を見せ続けることでしょう。

これからも久保建英選手と、父・健史さんのご活躍を期待しています。